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福岡地方裁判所 昭和42年(わ)625号 判決

被告人 福井千秋 外四名

主文

被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実を各禁錮二年六月に、同岡田源治を禁錮二年に、同山野鉱業株式会社を罰金一〇万円にそれぞれ処する。

ただし、被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実、同岡田源治に対し、この裁判確定の日からいずれも三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人らの負担とする。

理由

第一被告人らの経歴及び本件事故発生当時の職務、地位

(一)  被告人山野鉱業株式会社(以下単に被告人会社という。)は、三井鉱山株式会社山野鉱業所(以下単に三井鉱山という。)が昭和三八年八月頃閉山したのに伴い同鉱山の設備、施設のうち必要な資産を継承し、同年九月一六日資本金四、〇〇〇万円で鉱業、採石業等を目的として設立され、本店を福岡県嘉穂郡稲築町大字鴨生五五番地におき、鉱山名を山野炭鉱、石炭坑名は本坑と定め、同郡稲築町庄内町、山田市、田川市に亘る面積約一四万アールの鉱区における石炭採掘権を取得し、同年九月二〇日石炭鉱山保安規則五条に規定された甲種炭坑として指定を受け、同年一〇月一日より操業を開始して、右鉱区における石炭の採掘、販売等の事業を営んでいた会社であり、

(二)  被告人福井千秋は、昭和三八年八月被告人会社発足と同時に被告人会社の取締役採鉱部長に就任し、採鉱に関する業務を統轄すると共に、昭和四〇年一月一五日被告人会社の副保安技術管理者に任命され、炭鉱の保安技術管理者である同炭鉱技師長松山祥淑を補佐し、採鉱業務に関する保安上の技術的事項をも管理していた者であり、

(三)  被告人赤崎義美は、被告人会社発足と同時に山野炭鉱採鉱課杉谷部内採鉱係長となり、同三八年一〇月一一日被告人会社より山野炭鉱の坑内保安係員に任命され、同四〇年五月一日同炭坑採鉱部開発係長に就任し、同炭鉱大焼累層開発の業務に従事し、大焼卸坑道の掘進工事等を指揮監督すると共に、坑内保安係員として右業務に伴う保安上の技術事項を担当していた者であり、

(四)  被告人田籠実は、被告人会社発足と同時に同炭鉱採鉱部中央三交替主席係員として勤務することとなり、同三八年一〇月一日被告人会社より坑内保安係員に任命され、同三九年九月から同四〇年四月までは採鉱部杉谷部内採炭担当主席係員となつたが、同年五月一日より再び採鉱部中央三交替主席係員として勤務していた者で、坑内における災害、事故等の連絡及び措置について坑内と上司との間にあつて自ら又は上司の指揮を受けて適切な指示を与える等の業務に従事すると共に、坑内保安係員として右業務に関する保安上の技術的事項を担当していた者であり、

(五)  被告人岡田源治は、被告人会社発足と同時に同社の鴨生変電所勤務の電気夫となり、諸計器の監視、送電、電源遮断等の業務に従事していた者である。

第二本件事故発生当時における山野炭鉱の坑内状況

(一)  坑道の骨格構造

山野炭鉱の主要な坑道は、別紙図面(一)のとおりであつて、これを概説すれば垂直坑道として第一立坑及び第二立坑があり、水平坑道として第一立坑の坑底を基点として深度四九〇米(以下深度はいずれも坑口レベルからの深度を表わす。)に展開する四九〇MH左右零番坑道、第二立坑の坑底を基点として、深度六九〇米に展開する六九〇MH総排気坑道及び深度八〇〇米に走る八〇〇MH主要坑道があり、斜坑として、右三本の水平坑道を連絡する杉谷一卸、同連卸及び杉谷二卸、同連卸並びに海八中卸、同連卸の三対の斜坑の他に坑口を異にする鴨生斜坑等がある。そして、四九〇MH右零番坑道は第一立坑の坑底からほぼ東北方約六〇米の地点を分岐点として、右方に約八〇〇米延びて杉谷一卸に達し、四九〇MH左零番坑道は右分岐点から左側に約四〇〇米延びて杉谷二卸に達しており、又六九〇MH総排気坑道は第二立坑の坑底からほぼ東北方約二〇〇米の地点を分岐点として、東方に約一、四〇〇米延びる二区六九〇MH総排気坑道と右分岐点から北方に約六〇〇米延びる三区六九〇総排気坑道とに分かれており、杉谷一卸、同連卸はいずれも四九〇MH右零番坑道の先端部から東北方に勾配約二一度の下り傾斜をなし、全長約一、〇〇〇米に及び、その最下端部は八〇〇MH主要坑道に連絡していて、右一卸は途中六九〇米のレベルで分岐する六九〇巻立坑道及び一卸六九〇連絡立入坑道を通じて二区六九〇総排気坑道にも連絡している。ついで、杉谷二卸、同連卸は四九〇MH左零番坑道の先端部から東北方に勾配約一八度ないし二〇度の下り傾斜をなし、全長約一、三〇〇米で、その最下端は八〇〇主要坑道に連絡し、右杉谷二卸は途中六九〇米のレベルで、二卸六九〇巻立坑道により三区六九〇MH総排気坑道とも連絡している。更に海八中卸、同連卸は右杉谷一卸及び同二卸の中間にあつて、二区六九〇MH総排気坑道と八〇〇MH主要坑道とを連絡する斜坑となつている。また、八〇〇MH主要坑道は全長一、七〇〇米に及ぶ一直線の坑道でその東南端部一帯に杉谷部内の採炭現場が開設されており、この部分で深度約七〇〇米の杉谷五尺層の石炭の採掘がなされ、又八〇〇MH主要坑道の西北端部一帯及び海八中卸との接続部附近一帯に海八部内があり、これらの部分では深度約八二〇米でドマ八尺層及び海軍八尺層の石炭を採掘するための採炭現場が開設されている。なお、鴨生斜坑は第一立坑の坑口から約八〇〇米西北方の地点に坑口を有し、勾配約一六度ないし一八度の下り傾斜で、東方に約五〇〇米下がり、更に方角を東南方に転じて約一、一〇〇米下がり、深度四九〇米に達して杉谷一卸の巻場近くに連絡している。

(二)  坑内の主な通気経路

山野炭坑の入気坑口は、第一立坑及び鴨生斜坑の二箇所で、排気坑口は第二立坑が一箇所となつていて、通気の方法は、第二立坑の坑口に六〇〇キロワツトの主要扇風機を設置し、これによつて通常毎分七、二〇〇立方米前後の空気を坑内から吸出すことにより、第一立坑坑口及び鴨生斜坑坑口より地上の空気が流れ込む仕組みになつている。そして、第一立坑からの入気は、通常毎分五、四〇〇立方米前後で、四九〇MH左右零番坑道にほぼ二分されて流れ、右零番坑道に流れた空気は杉谷一卸、同連卸を通つて八〇〇MH主要坑道に抜け、更に二分されてその一部が右折して一区杉谷部内を洗つて排気となり、二区六九〇MH総排気坑道を経て第二立坑へと排出され、又右八〇〇MH主要坑道に抜けた他の一部が左折して海八部内を洗い排気となつて海八中卸を経て二区六九〇総排気坑道を通り第二立坑へ排出される。さらに、第一立坑からの入気のうち、四九〇MH左零番坑道に流れた空気は、杉谷二卸、同連卸を通つて八〇〇MH主要坑道に抜け、右折して海八部内を洗い排気となつて海八中卸、同連卸を経て二区六九〇MH総排気坑道及び連坑道を通り第二立坑へ排出される。また、鴨生斜坑からの入気は、通常毎分七五〇立方米前後であつて、杉谷一卸に抜け、四九〇MH右零番坑道からの入気と合流して、前同様の経路で第二立坑に排出される。なお、後述のとおり第一立坑からの入気は四九〇MH左右零番坑道に流れる以前に、そのうち毎分約七一五立方米の入気が、第一立坑坑底連絡坑道を通つて、大焼卸の方に抜け、この入気のうち更に毎分約三二〇立方米が同卸局扇座において局部扇風機により風管で同卸延詰に送られ、同所を洗つて排気となり、再び同卸坑道を昇つて、右局扇座前に戻り、同所で第一立坑坑底連絡坑道からの入気と合流し、同卸立入坑道を経て四九〇MH右零番坑道に至り、第一立坑からの主要入気に合流する仕組みとなつている。

(三)  本件ガスが突出した大焼卸坑道からそのガス爆発の生じた杉谷一卸巻場附近に至る坑内概況及び通気経路

本件メタンガスが突出したと認められる大焼卸坑道は、四九〇MH右零番坑道の杉谷一卸に至る途中(四九〇MH左、右零番坑道の分岐点から右零番坑道を杉谷一卸側へ約一六七米進んだ地点)に立入口を設けられ、北方に向かう長さ約一一〇米の水平坑道(通常大焼卸巻立坑道又は四九〇MH大焼卸立入坑道と称せられている。)の先端(以下この地点を立入分岐点という。)においてこれとイ字型に交差する一直線の卸坑道であつて、右立入分岐点の東北方昇り詰めに巻場が設けられており、その奥は裏風道が設けられて、前記大焼卸巻立坑道に通じている。この大焼卸坑道は右巻場入口から西南方卸詰まで、全長約四一〇米であつて、右巻場の入口と右立入分岐点との間の坑道は長さ約五四米、勾配約五度となつている。又右立入分岐点から卸側へ約一七五米の地点の坑道右側に間に約五米、奥行約三・五米の洞穴が掘り広げられており、この場所に局部扇風機二台が設置されている(以下この場所を局扇座ともいう。)。

右立入分岐点と右局扇座間の坑道は、勾配約一四度、坑道断面積約九・五平方米であつて、右局扇座から卸側延詰までは更に坑道の長さが約一七八米で、その勾配が約一五度、坑道断面積はやや広く一一・〇平方米となつている。右局扇座の奥には約八米の垂直坑道が掘られていて、同坑道には木製梯子が約八〇度の勾配をなして架けられ、この坑道梯子を昇ると幅員約三・二米長さ約七・五米の平坦な坑道となつていて、この坑道の壁に、後述大焼卸ガス突出対策要綱にいわゆるA1A2釦(大焼卸坑道内の電源遮断用スイツチ釦)及び坑外との連絡用電話が設置されていて、この場所を第一立坑連絡坑道避難所(別名壺下避難所ともいう。)と称せられている。ついで、この避難所の奥から更に約三〇米の垂直坑道が穿掘されていて、この坑道を第一立坑連絡坑道と称し、前述のとおりこの連絡坑道を経て第一立坑からの入気が前記局扇座を通り大焼卸坑道に分流している。次に、四九〇MH右零番坑道は、前記大焼卸立入坑道との分岐点から杉谷一卸の方向に、二三六米の地点で右零番坑底ポンプ座を経て鴨生斜坑に通ずる旧零番片坑道と分岐し、更に右分岐点から杉谷一卸の方に二二〇米進んだ地点で、右旧零番片坑道に抜ける目抜坑道が分岐している他には、他の坑道と分岐することなく、その先端部は、杉谷一卸巻立坑道に接続し、杉谷一卸巻場入口から七〇米卸側において、杉谷一卸坑道に連結されている。

以上のような坑道構造と前記通気の状態から、第一立坑連絡坑道から大焼卸に分流した入気(通常の場合毎分七一五立方米)は、大焼卸を昇り、同卸巻立坑道を通過する際、同坑道に交差する四九〇MH右空函線坑道からの入気(通常の場合毎分一八五立方米)と合流し、更に四九〇MH右零番坑道を流れる主要入気(通常毎分一、八二〇立方米)と合流して風量を増し、毎分二、七二〇立方米の風量となつて、杉谷一卸巻立坑道を経て杉谷一卸に流れるが、その途中右零番坑底ポンプ座又は目抜坑道を経て、鴨生斜坑に通ずる旧零番片坑道に分流(通常の場合毎分六七〇立方米)するために、杉谷一卸に流出する際の風量は毎分二、〇五〇立方米に減じ、そのうち、毎分一、六四〇立方米は、杉谷一卸を卸方向に流れ、残りの毎分四一〇立方米が杉谷一卸を巻場方向に昇り、同巻場を経て裏風道を抜け杉谷連卸を卸側に流れることになる。そして、右の入気経路において大焼卸巻立坑道、四九〇MH右零番坑道、杉谷一卸巻立坑道はいずれも坑道断面積は等しく、一一・一八平方米であるが、杉谷一卸坑道は同卸巻立坑道との分岐点より卸側においては坑道断面積が八・七二平方米、同分岐点から杉谷一卸巻入口までにおいて坑道断面積一〇・五〇平方米となり、同卸巻場内の坑道断面積は二六・〇八平方米と広くなつている。このように、大焼卸から杉谷一卸巻場までの通気経路は坑道の断面積や風量が必ずしも一定していないので、その平均風速もこれらの値の変化に伴い変化をし一定しないが、通常の場合は大焼卸延詰から杉谷一卸巻場まで、叙上の経路で空気が流れる場合距離にして一、三七六米、空気の流動時間は大体一六分余とされている。

第三本件事故発生に至るまでの経緯

(一)  大焼累層の開発計画

被告人会社は、発足後まもなく、昭和三九年三月二八日通産局に対して採掘に関する施業案を提出してその承認を受け、同年四月一日から大焼立入坑道の掘穿を開始すると共に、大焼卸坑道掘穿のための準備作業(盤打ち、施枠、軌道の張込み等)を開始した。右両坑道は将来坑口レベルから六九〇米の深度で連絡し、これを基幹坑道として更に区画坑道を展開し、附近の大焼層に切羽を設定して採炭することが予定され、右大焼卸立入坑道は、六九〇MH空函線坑道から立入口を取り、南西方向に水平に坑道を掘進し、大焼卸は前記のとおり四九〇MH右零番坑道から立入口を取り、先ず大焼卸巻立坑道の掘進から着手されて、大焼卸坑道の掘穿へと工事が進められ、昭和四〇年二月から新菱建設株式会社が大焼卸坑道等の掘穿及びその附随工事を請負い、本件事故発生当日、大焼卸坑道は、同巻場入口から約四一〇米、地表からの深度約五六〇米の地点まで掘り進められていた。

なお、この大焼卸坑道附近の地層は、上部から下部へ竹谷累層、三尺五尺累層、大焼累層と呼ばれている地層群がほぼ整然と重なり、約一五度の傾斜をなして西高東低の状態で流れており、大焼卸巻場は右竹谷累層の中に位置し、大焼卸坑道が同所よりほぼ南西方向に一四度ないし一五度の傾斜で掘り下げられているため、各地層を貫通するといわゆる逆盤掘進となつている。そして本件事故発生当日は三尺五尺累層に属する上部及び下部の各夾炭層を通過し、海軍八尺炭層の最下盤に達していたが、同所附近における各炭層においては、特に下部夾炭層において火山岩の迸入を受け、石炭は煽石化しており、中でも海軍八尺炭層は脆弱化し、その傾向は下部に至るほど著しいものとなつていた。このことは、一般的には同所附近の炭層のメタンガス含有率が少ないことを意味し、山野地区における過去のガス突出事例が、いずれも煽石化していない土間炭層の有煙炭部からの突出であり、深度も深層部になるほど突出ガス量が多い傾向にあつたことや、鉱山学上地層に擾乱の多い部分においてガス突出の例が多いとされていることなどに照らし、いずれの点からみても、大焼卸坑道におけるガす突出の危険率は少ないものと考えられていた。

(二)  保安体制(特に大焼卸ガス突出対策)について

被告人会社は昭和四〇年四月二六日から同月三〇日までの間福岡鉱山保安監督局による総合検査を受けたが、右検査の結果、同監督局検査官より大焼区域の開発が、初めて採掘に着手されるいわゆる地山開発であるため、ガス突出の適確な予知が困難であるとして、ガス対策(測定突出予防等)を徹底して行うよう勧告を受けたので、右勧告の趣旨に副うべく、海軍八尺層着炭予定五米前からガス抜ボーリングを実施すること及び沿層部掘進、発破時には警戒人を配置し、ガス突出の際には風下電源遮断等の措置を講ずる等の改善計画を右監督局に回答すると共に、これを実施し、更に保安体制を強化するため、被告人会社採鉱部及び保安部において関係係員らが集まり、同年五月一三日大焼卸ガス突出対策を協定し、これを実施することとした。

その対策要綱の内容には、誘導発破の実施の際に誘導発破孔として孔長二、四米ないし三、〇米のもの三本を坑道中心部に略等間水平に穿孔し、掘進切羽発破と同時第一段で誘導発破を実施すること、発破時の避難場所は第一立坑連絡坑道避難所とし、同所に巻方を含め全員退避し、発破位置も避難所とすること、ガスが突出し又は突出したと思われる場合は大焼卸掘進担当係員はA1A2操作釦を押し、同卸坑道内の、局部扇風機、卸ポンプ及び同卸巻場内の電源を遮断すること、局部扇風機の風下において精密可燃性ガス検定器(一〇パーセント用ガス干渉計)でガスの測定をし、干渉計の「シマ」が認められない場合(スケール・アウトの場合)は、電話で鴨生変電所に連絡して、坑内全停電の措置を求めたうえ、中央三交替に報告することとし、干渉計の「シマ」が認められる場合は中央三交替に報告してその指示に従うこと、中央三交替は突出の状況によりガス排除及び送電管理を行うことなどの項目が定められた。なお右ガス突出時の処置に関してA1A2の電源遮断用押釦を設置したうえ、更に電話を新設した趣旨は、A1A2を操作することにより、大焼卸坑道及び同卸巻場の電源を遮断することはできるが、ガスの突出量が多い場合や、A1A2の操作が遅れた場合、同坑道は入気坑道に近く又特免区域である四九〇MH零番坑道及び杉谷一卸巻場等にも比較的近いため、突出ガスが流出して、風下の区域に及ぶ危険があるため、風下における電源をも遮断する必要があり、鴨生変電所に電話連絡をさせ、全坑停電の措置をとらせることになつたものであるが、坑内全停電の措置をとれば、湧水、排気等の面に有害な結果も併せ生ずるので、突出ガスの濃度を測定した結果スケール・アウトの状態の場合にこれを連絡させ、即時行う趣旨で、前記のような条項が決定されたものである。

以上のガス突出対策要綱は、被告人福井千秋、同赤崎義美らの指示により、被告人田籠実、同岡田源治を含む大焼卸担当係員、中央三交替主席、運搬係員、技術部電気係及び鴨生変電所勤務者等に連絡示達され、翌五月一四日から実施に移され、同月一七日、一八日の両日に、第一立坑壺下避難所に、右対策に則つた電源遮断用釦A1A2と自動電話が設置された。

(三)  本件ガス突出の態様とそのガス爆発に至る経過

以上のような状況のもとに、大焼卸の坑道掘進が進められていたが、昭和四〇年六月一日、前記下請会社の新菱建設に所属し、被告人会社より坑内保安係兼無破係員を命ぜられていた大焼卸掘進担当係員龍口賢二は、一番方係員として入坑し、前同上席係員松元羆の監督の下に大焼卸延詰の作業現場において掘進夫の桜井鼎、同小田武夫、同三又幸一、同大西清、ポンプ方の柿原秀吉、大焼卸巻方の野間俊介を指揮して作業中、午後零時一五分ころ、当日切羽が逢着していた海軍八尺炭層に前記ガス突出対策に定められた発破実施要領により誘導及び掘進発破を同時に一段で実施した際、異常な発破音を伴つて多量のメタンガスが発生し、その異常音を聞いた右坑内係員龍口賢二において直ちに前記局扇座避難所前の大焼卸坑道内卸寄りの位置に出て、所定のガス干渉計でメタンガスの濃度を測定したところ、測定器がスケール・アウトの状態を示し、メタンガスが突出したことを察知したので、直ちに局扇座に退避していた前記上席係員松元らにその旨報告し、鉱員達を同所より七、八米上部に梯子で通じている第一立坑の坑底壺下避難所に避難させ自らも最後部から同避難所に避難したうえ、前記上席係員松元羆において、前記ガス突出対策に従つて、同所に設置されているA1A2の坑内電源用釦を押し、同卸の局部扇風機ポンプ及び大焼卸巻場の電源を遮断し、右龍口において、坑内全停電の措置を要請するため、同避難所に設けられている非常用電話で鴨生変電所に電話をかけたが、たまたま右鴨生変電所の当番係員であつた被告人岡田源治が不在であつたため、電話が通じなかつたので、中央三交替に電話をかけ、その主席係員であつた被告人田籠実に対し、大焼卸延詰でメタンガスが突出したこと、その測定の結果スケールアウトの状態であること、直ちに坑内全停電の措置を求めるため鴨生変電所に電話をかけたが、電話が通じないので、中央三交替の方で鴨生変電所に連絡して貰いたいこと、A1A2の電源用釦を押して大焼卸の電源は遮断したことを報告し、応急措置を依頼した。被告人田籠実は、右龍口の依頼を了承し、右龍口に対し、鴨生変電所への坑内全停電の措置要請は中央三交替で行うから、更めて連絡するまで同避難所から動かぬようにと指示した。

一方大焼卸延詰で突出したガスは、局扇座前において、第一立坑連絡坑道からの入気に混入して大焼卸を昇り、同巻立坑道を経て、同炭坑の主要入気坑道である四九〇MH右零番坑道を流れる入気と合流し、杉谷巻立坑道を通つて杉谷一卸に流出し、その主流は杉谷一卸を卸方向に流れたが、他の一部は同卸を巻場の方に流れ、突出後約二〇分を経過した同日午後零時三六分ころ、右杉谷一卸巻場に設置してある巻揚機の油圧ブレーキ用の油圧ポンプ電動機の運転を制御する電磁開閉器(同巻場附近は特免区域であつたので右開閉器に防爆装置はなされていなかつた。)の開閉動作によつて生じた電気アーク(巻揚機停止中においては約一〇分間隔で自動起動を反覆し電気アークを生ずる。)が、同所附近に流動していた前記ガスに引火して燃焼を起し、その火炎が同巻場より卸方向に走り、同巻場入口より約四〇米卸側の旧係員詰所前附近において、爆発(急激な燃焼)適状の濃度になつて流動していた前記突出ガスに引火して爆発を誘発するに至つたものであつて、叙上の情況の下において後記被告人らの罪となるべき事実記載の犯行が行われたものである。

第四罪となるべき事実

(一)(1)  被告人田籠実は昭和四〇年六月一日午後零時二〇分ころ、被告人会社の採鉱部事務所において中央三交替の主席係員として勤務中、前記龍口賢二から前記内容の電話報告を受けた際同被告人としては、右報告内容のようなガス突出の場合、ガス爆発の危険を避けるために、一刻も早く坑内全停電の措置をとり坑内の電気施設に伴う火源を断つべきことを熟知しているのであるから、漫然と自ら鴨生変電所に電話連絡を試みるだけではなく、事態の重大且つ緊急性を重視して、技術部事務所や同変電所近くの架線事務所勤務の電気部係員らに電話連絡し、場合によつては自ら又は使者を急行させて右電気部係員に危急を知らせ、坑内全停電の措置をとらせるなど臨機応変の緊急措置を講じて一刻も早く坑内の火源を断ち、もつてガス爆発等による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠つて、鴨生変電所の係員が応答しないのに、徒らに電話連絡を試みることを数回繰返したに止まり、漫然無策のまま時間を空費した過失により、

(2)  被告人赤崎義美は前同日時場所において、勤務中被告人田籠実から前記龍口賢二の電話報告の内容及び鴨生変電所に電話連絡を試みたが応答がない旨の報告を受けた際、同被告人としては、右報告内容のようなガス突出の場合、ガス爆発の危険を避けるために一刻も早く坑内全停電の措置をとり、坑内の電気施設に伴う火源を断つべきことを熟知しているのであるから、被告人田籠実と協力して、自ら又は被告人田籠実等に指示して架線事務所勤務の電気部係員らに電話連絡し、場合によつては自ら又は使者を急行させて右電気部係員に危急を知らせ、坑内全停電の措置をとらせるなど臨機応変の緊急措置を講じて一刻も早く坑内の火源を断ち、もつてガス爆発等による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り被告人田籠実の前記のような不適切な処置に対して何ら適切な助言や指示を与えることもなく又目ら坑内全停電を一刻も早く行う為の適切な措置もせず、漫然と被告人田籠実の前記措置をもつて足るものと軽信して、そのまま放置した過失により、

(3)  被告人福井千秋は前同日、右採鉱部事務室において勤務中、午後零時二八分ころ、被告人田籠実から前記龍口賢二からの電話報告の内容及びその後鴨生変電所に電話連絡を試みたが応答がない為連絡がつかず、坑内全停電の措置が未だなされていない旨の報告を受けたが、このような場合、同被告人としては、ガス爆発等の事故を避けるため坑内全停電の措置が火急の要務であることを熟知しているのであるから、ただちに自らまたは同事務室内の部下職員に命じて架線事務所や技術部事務室勤務の電気係員に電話若しくは使者を急行させて危急を知らせ、坑内全停電の措置をとらせる等、積極的に被告人田籠実、同赤崎義美その他の部下職員を指揮監督し、ガス爆発等による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然と被告人田籠実、同赤崎義美らの不適切な措置をもつて足るものと軽信し、そのまま、放置した過失により、

(4)  被告人岡田源治は、前同日午前八時から、鴨生変電所に勤務していたが、右勤務は単独勤務であり、その業務内容がいわゆる監視業務であつて、いつ如何なる場合に坑内又は中央三交代等から坑内の電源遮断等の緊急要請がなされても直ちにこれに応じうる体制で勤務することが必要であるから、みだりに職場を難れてはならないことは勿論、やむを得ず職場を離れる必要を生じたときは、上司の許可を受け、交替者を得る等変電所の機能に支障を来たさぬように配慮し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前記龍口賢二及び被告人田籠実が坑内全停電の措置を要請するため同変電所に電話をかけた前記午後零時二〇分ころから同零時二八分ころまでの時間帯を含めて、その前後少なくとも一〇分間以上、同変電所を無断で離れ、同所より約四〇米離れている架線事務所に立ち寄つて、同事務所の係員と雑談するなどして時間を費し、前記龍口賢二及び被告人田籠実の再三にわたる緊急連絡の電話に応ずることができなかつた過失により、

もつてこれらの各過失が競合し、結局坑内全停電の措置がなされないままに放置された結果、前記のとおり同日午後零時三六分ころ、前記杉谷一卸坑道旧係員詰所前附近において、ガス爆発を惹起させ、更に杉谷一卸立入坑道分岐点附近、同卸一片ポンプ座坑道、四九〇MH右零番坑道第二開閉所及び坑底ポンプ座連坑道附近において順次爆発を誘発するに至らしめ、よつて同炭坑坑内で稼働していた鉱山炭働者五一五名のうち、別紙(一)記載のとおり渡辺正勝ほか二三六名を爆死、焼死又は一酸化炭素中毒死させ、別紙(二)記載のとおり跡部義夫ほか二八名に対し一酸化炭素中毒症などの重軽傷を負わせ、

(二)  被告人福井千秋は山野炭鉱の副保安技術管理者として、同赤崎義美、同田籠実は同炭鉱の坑内保安係員として、いずれも被告人会社採鉱部事務所において勤務中、被告人会社の業務に関し、

(1)  被告人田籠実、同赤崎義美は前同日午後零時二〇分ころ、前記のように突出したメタンガスによる爆発の危険を予知したのにかかわらず、それぞれ直ちに山野炭鉱内への送電を停止するなど適当な応急措置をせず、

(2)  被告人福井千秋は、前同日午後零時二八分ころ、前同様の危険を予知したのにかかわらず、直ちに同坑内への送電を停止するなど応急措置又は適当な危険防止の措置を講じなかつ

たのである。

第五証拠の標目(略)

第六法令の適用

被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実、同岡田源治の判示第四の(一)の各所為は、被害者ごとにいずれも行為時においては昭和四三年法律第六一号刑法の一部を改正する法律による改正前の刑法二一一条前段、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、右昭和四三年法律第六一号による刑法の一部改正後、同四七年法律第六一号による罰金等臨時措置法改正前までは、右改正後の刑法二一一条前段、右改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては、右各改正後の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により最も軽い行為時法の刑によることとし、被告人赤崎義美、同田籠実の判示第四の(二)の(1)の各所為は、いずれも鉱山保安法五六条五号、五条、三〇条、石炭鉱山保安規則八四条二項、一二七条に、被告人福井千秋の判示第四の(二)の(2)の所為は、鉱山保安法五六条五号、五条、三〇条、石炭鉱山保安規則二三条、二四条三項、一項二号に各該当するが、被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実の判示業務上過失致死傷と判示鉱山保安法違反の所為及び被告人岡田源治の判示業務上過失致死傷の所為は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから、それぞれ刑法五四条一項前段、一〇条により右各被告人ともそれぞれ一罪として犯情の最も重いものと認める関根蔵雄(別紙番号17)に対する業務上過失致死罪につき定めた禁錮刑で処断することとし、その刑期の範囲内で被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実をいずれも禁錮二年六月に、同岡田源治を禁錮二年にそれぞれ処し、被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実の判示第四の(二)の(1)(2)の各鉱山保安法違反の所為はいずれも右各被告人が被告人会社の従業員として右被告人会社の業務に関して犯した違反行為であるから、鉱山保安法五八条を適用して被告人会社に対し、同福井千秋の関係で鉱山保安法五八条、五六条五号、五条、三〇条、石炭鉱山保安規則二三条、二四条三項、一項二号により、同赤崎義美、同田籠実の各関係において、それぞれ鉱山保安法五八条、五六条五号、五条、三〇条、石炭鉱山保安規則八四条二項、一二七条を適用し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により右各罪の所定罰金額を合算した金額の範囲内で被告人会社を罰金一〇万円に処し、被告人会社を除く爾余の被告人四名に対しいずれも情状を考慮して刑法二五条一項を適用し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により主文掲記のとおり各被告人に負担させることとする。

第七被告人会社に対する公訴棄却の申立について

弁護人らは、本件起訴状には、被告人会社に対する公訴事実の記載がなく不適法であるから、被告人会社については公訴棄却の裁判を求める旨の申立をしている。しかし、本件起訴状によれば、被告人田籠実、同赤崎義美、同福井千秋に対する鉱山保安法違反についての公訴事実中、右被告人らが被告人会社の従業員であつて、いずれも被告人会社の業務に関して右保安法違反行為をしたものであることを特記してあり、罪名として鉱山保安法違反、その罰条に鉱山保安法五八条、五六条を明記してあることに徴すれば、別項を設けて被告人会社に対する公訴事実を記載しなくても、以上の記載をもつて被告人会社に対する公訴事実として欠けるところはないと解するのが相当であるから、弁護人らの右申立は理由がないので採用しない。

第八弁護人らの主張に対する当裁判所の判断

先ず、弁護人らは、本件爆発事故が判示大焼卸坑道延詰で突出したメタンガスの爆発によるものであり、その最初の爆発地点が判示杉谷一卸旧係員詰所前附近であると推定されることについては異論がないが、異論があるのは右爆発の火源である。すなわち、本件爆発の火源は検察官主張の杉谷一卸巻場内に設置された油圧ポンプ電動機用電磁開閉器の開閉動作によつて生じた電気アーク(以下電気アーク説という。)ではなく、鉱員が杉谷一卸旧係員詰所附近で安全灯(いわゆるキヤツプランプ)の灯部を分解修理する際に発生させた電気火花(以下安全灯説という。)である、と主張して、その事実上及び学理上の論拠を明らかにし、ひいては本件事故に対する被告人らの過失責任及び鉱山保安法上の責任を否定しているので、以下これらの主張について判断を示し、併せて判示事実認定の経緯を説明する。

(一)  先ず弁護人らが主張する安全灯説の論拠を検討してみると、その論拠は要するに、本件爆発事故の直後に実施された捜査官らの実況見分の結果などに徴し、本件爆発地点である旧係員詰所前附近の坑道において、完全な形での反射鏡、ゴムパツキング、破損した豆電球と破壊された電槽部の破片が発見されたが、これらはいずれも鉱員が坑内で使用していた安全灯の部品であり、その発見された位置が、鉱員三根俊明の遺体があつた位置附近であつたことと、旧係員詰所附近及び杉谷一卸巻場で死亡した鉱員八名のうち右三根俊明を除く七名の鉱員の安全灯はいずれも完備のまま発見されたのに、右三根俊明の分だけが発見されていないことから推して、右の部品は右三根俊明が所持していた安全灯の部品であると推定されるところ、右安全灯の構造に徴すれば、反射鏡及びゴムパツキングを安全灯の灯部から分離するためには、先ずねじで締められた灯具の蓋をはずした後、豆電球を手で廻して取りはずさなければならないように造られていることに鑑みると、右部品の分離状態は爆発によつては生じ得ない状態であるといえるから、それは爆発以前において人為的に解体分離されたものと推察されるし、また右安全灯は豆電球の底部とソケツト内の電極部との接触が不良になることが少くないことや、同所附近が石炭鉱山保安規則第六条の二にいう特免区域となつていることを併せ考えると、右三根俊明が前記部分の接触不良を修理するために、同所附近で安全灯の灯部を分解し、豆電球を取りはずして通電をよくするため電極部分を針金で磨いていたものと推察されるのである。そして、右電極部分に針金等の金属を接融させると火花を発し、ガス爆発の火源となり得るものであるから、本件ガス爆発の火源は正にこの三根俊明の安全灯の灯部に生じた火花であると推定され、このように推定することによつて、本件爆発地点が旧係員詰所前附近であるとの推定や、同所附近におけるメタンガスの濃度が均一化していたとの物理学上の推定及びこれが爆発適状にある場合には、引火するのと殆んど同時に爆発を起こすという物理学上の実験則に合致し、同所及び杉谷一卸巻場内の被災状況もより合理的に説明しうることになるというのである。

そこで、証拠に基いて検討してみると、先ず、本件爆発事故は判示大焼卸坑道延詰で突出したメタンガスが判示杉谷一卸旧係員詰所前附近の坑道に流動し、同所で最初の右ガス爆発を起したことに基因することは、前掲第五の証拠に徴して明らかであり、さらに弁護人援用の証拠に徴すれば、右の旧係員詰所前よりやや卸側寄りの坑道内で鉱員が坑内で所持使用する安全灯の部品と思われる反射鏡、ゴムパツキング及び破損した豆電球が発見されたこと、その発見された位置は、その前日鉱員三根俊明の遺体が発見された位置の近くであつたことが認められるが、右豆電球の破損の部位、程度は明らかでなく、又その発見された位置が、前記反射鏡やゴムパツキングの発見された位置とどのような関係位置にあつたかも明らかでないし、一般にガス爆発による破壊作用によつても、安全灯の灯部の分解事象は生じうるといえるので、安全灯の灯部が構造上鉱員らにおいて有合せの器具を利用してこれを分解すること自体は物理的には可能であることや、安全灯が坑内において前記のような接触不良の状態になり、修理の必要を生ずることがありうることを考慮に入れても、前示のような部品の分離状態からただちにこれが鉱員の手により人為的に分離解体されたものであると断定することはできないばかりでなく、右部品が三根俊明の所持していた安全灯の部品であるとの弁護人らの推論も、以下の事実に徴すれば早断にすぎるといわざるを得ない。すなわち、工藤重敏の検察官に対する供述調書(記録二三冊)によれば、同人は本件事故発生の翌日杉谷巻場附近の最初の探索隊として同所附近の遺体確認に赴き、右三根俊明の遺体を発見したが、その際杉谷一卸坑道の四九〇巻立坑道との分岐点附近の崩落箇所の近くからコードが途中から千切れてなくなつている安全灯の灯部一個を発見拾得し、これをその発見場所から最も近い位置で死亡していた三根俊明の遺体の傍に置いた旨、右安全灯の灯部は何ら破損しておらず、電槽部が発見されなかつた旨、右安全灯のふちの色は黒色であつたので、直轄鉱内員が携帯していたものであることは判定できたが、具体的にだれのものであるかは判らなかつた旨を供述している。そうだとすれば、右工藤が発見した右安全灯の灯部もまた、三根俊明のものであるとの推定が可能であるといえよう。この点について、弁護人らは、西田正美の検察官に対する供述調書(記録二三冊)によれば、杉谷一卸巻場で被災死亡した中村定雄の安全灯が本件事故発生後、安全灯係において修理された事実があること及びその修理内容が、灯部及びコードの一部破損であることから、右安全灯はコードの千切れた灯部であることが認められ、右工藤重敏が三根俊明の遺体の傍に置いた安全灯の灯部と符合するから、それは右中村のものであつて、三根俊明のものではないから、結局右三根の安全灯だけが発見されていないことになると主張している。しかしながら、前掲工藤重敏の検察官に対する供述調書及び吉田武美の司法巡査に対する供述調書(記録二三冊)によれば、右中村定雄は杉谷一卸の巻場運転台の下で死亡していた者で、武田組の組係員であつたこと、組係員の安全灯のふちの色は濃い水色とされていたことが認められ、右工藤が発見した安全灯は前記のとおりふちの色が黒色であつたことと矛盾するばかりでなく、前掲西田正美の検察官に対する供述調書によれば、右中村定雄の安全灯の修理記録から判断して、電槽部のみ無事でその他は使用できない程に破損していたと認められる旨供述しているのであつて、工藤が発見した前記安全灯がコードの千切れた灯部のみであつたことに徴し、右安全灯を右中村定雄のものとは到底認めがたいので、弁護人らの右主張も採用できず、結局工藤が発見した前記安全灯の灯部は、右三根俊明のものであるとの推論も充分可能であるといえよう。そして爆発地点である杉谷一卸旧係員詰所前附近及びこれに隣接する杉谷一卸巻場附近で死亡した八名の鉱員の安全灯が全部それぞれ発見されたことが窺え、従つて、前記安全灯の反射鏡、ゴムパツキング、破損した豆電球の部品をもつて三根俊明の安全灯の一部であるとの弁護人の推認は早断にすぎるといわざるを得ない。更に、弁護人が推認するとおり右安全灯の部品の分離状態から見て爆発直前に右三根が通電不良を修理する目的で分解し、電極部を針金等の金属で磨いていたものと仮定した場合は、当然にその段階では電槽部もコードによつて灯部を連結されて存在していたものと推認されるうえに、右灯部は三根の手で握持されていたであろうことも併せ推認されることになり、そうだとすれば右部品以外の灯部部品とこれに連結されていたと推認される電槽部等が全く発見されないということが、むしろ不自然な現象といわねばなるまい。更にまた、第三〇回公判調書中の証人佐藤秀雄、同篠原正喜の各供述部分、篠原正喜の検察官に対する供述調書(いずれも記録四五冊)によれば、安全灯の整備は専属係員が担当し、その係員に容易にその修理の依頼ができる制度になつていて、鉱員が通電を良くするための修理を自ら実施する必要が生ずるのは極めて稀れな事柄といえるであろうし、鉱員がこれを坑内(特免区域の坑内も含む。)において分解修理をすることは保安上厳禁され、坑内の従業員間においてもこのような行為は通常行われないのが実情であると認めることができる。従つて、弁護人ら主張の安全灯説は単に安全灯の部品の分離状態が人為的になされたという仮定に出発し、客観的な合理性に乏しい推論を重ねて稀有に属する事実を推認するものであるから、すでにこの点において十分の合理的根拠がない。従つてまた、一般的に安全灯の電極部と針金等の金属との接触による電気火花がメタンガスに引火可能であることが科学的に証明されたとしても、本件爆発の火源論としての右主張を支えることにはならないので、右主張は採用することができない。

(二)  次に、検察官主張の電気アーク説に対する弁護人らの反論について検討しよう。弁護人らの反論は電気アーク説の前提となつている電磁開閉器の通電状態を否定する主張とガスの流動に関する理論に立脚して、電気アーク説を理論的に否定する主張とに大別することができるが、以下これらの主張について順次審案する。

(1)  電磁開閉器の通電状態を否定する主張について

(い) 弁護人らは、先ず、右電気アーク説の論拠となつている九州大学教授大隅芳雄外四名共同作成の鑑定書(記録四二冊)は、通電状態にない手許スイツチの状況を確認した上それが通電中の状態にあるとの鑑定者の誤解に立脚したものであると主張し、その根拠として右鑑定書附図第二一の四は手許スイツチを本件爆発後坑外に搬出され、押込まれた状態の押釦を裏から叩いて押上げた後の状況を撮影したものであつて、この写真の状況のままであれば、手許スイツチは「閉」の状態であり、釦を叩き上げる以前は押込まれた状態、すなわち手許スイツチは「開」の状態にあつたことは明らかであるのに、右附図第二一の四の説明部分には「物体の激突によりピンは剪断されているがスイツチは『閉』の状態におかれてあつたことを確認」と記載されており、このことは鑑定者が右スイツチの釦が押込まれた状態を「閉」―通電の状態―であると誤解していた証左であるというのである。

しかし、右鑑定書の附図第二一の一ないし四を比較対照し、証人井尾正隆の当公判廷における供述(記録五〇冊)をみれば、鑑定者が弁護人主張のような誤解をしていたとは認めがたいばかりか、鑑定者野田健三郎の検察官に対する昭和四二年八月一〇日付の供述調書(記録四九冊)によれば、同鑑定者は手許スイツチの構造及び機能を正しく理解したうえで鑑定したことが認められ、また附図第二一の四の説明文は、右スイツチの釦を裏から叩き上げ、右釦には爆発前には止めピンがついていたこと及びその位置を確認したうえで、押し込められた状態における右止めピンの位置、方向に着目し、被災直前の状況を推定して「『閉』の状態におかれてあつたことを確認」と表現したものであることは明らかであり、弁護人の右主張は右鑑定書の趣旨の誤解による主張といわざるを得ない。

(ろ) つぎに、弁護人らは電気アーク説が右主張のような鑑定者の誤解に立脚したものではないとしても、手許スイツチは棒状をなし、スプリングの上に乗せてあり、そのガイド孔との間に間隙があるため、容易に回転する仕組みになつているので、爆発による飛散物体の衝撃によつて止めピンが止め金に止められた状態の押釦が回転し、止めピンの方向を変えて押込まれる可能性もあり、また止めピンの方向は必ずしも止め金に直角の方向ではなくても、これに近い状態で止め金に届く角度であれば「開」の状態を持続できるのであるから、衝撃で押込まれた状態における止めピンの方向から直ちに手許スイツチが被災直前に「閉」の状態にあつたと推認することはできない旨主張している。

なるほど右主張は可能性の問題としては、一応首肯しうるとしても、右主張のような可能性は押釦に回転運動を起させる分力を生ずるような方向から外力が加わつた場合を想定したものであり、しかもこのように押釦を回転させる外力が加わる可能性は、止めピンが止め金に止つていた状態の場合に限らず、あらゆる方向を向いていた場合に認められるのであり、しかも厳密にいえば、野田健三郎の検察官に対する供述調書(記録四九冊)、前掲第五の証拠の標目中昭和四〇年八月五日付実況見分調書(記録五四冊)、押収(昭和四三年押第七五号の一〇二)してある手許スイツチに徴すると、本件手許スイツチは止め金の中央部(通常止めピンが止まる位置)を上方にややくぼませて、ピンが止まり易いようにつくられているし、かつ、押釦はスプリングの台の上に乗せてあることから、下部のスプリングの弾力により止めピンが下から止め金に押付けられる状態になるので、止めピンを止め金に止める場合は、止め金の中央部に止まれ易くなり、止めピンが止め金に止まつていない状態(「閉」の状態)の場合に比して押釦は回転させ難いものと考えられる。しかもまた、止めピンに直接外力が加えられる場合には、その外力は比較的押釦を回転させる力となり易いが、このような外力も止めピンが止め金に止まつている状態では、止め金に阻まれ易いため、止めピンが止め金に止つていない場合に比し、直接作用し難いものと考えられる。更に、現実の状況は少くとも止めピンが折れてそのつけ根の部分がガイド孔にめり込む程度の力が垂直に加わつたことを示しているのであり、このような垂直に働く力と共に、止めピンが止め金に止つている状態の押釦を回転させて鑑定書附図第二一の一に見られる方向まで動かす分力を生ずるような外力が加わるということは、押釦を回転させる分力を生じないで、前記の垂直に働く外力が加わる場合、又は止め金に止めピンが止つていない状態から押釦を多少回転させながら、前記のような垂直に働らく外力が加わる場合に比して、その蓋然性は極めて小さいものと考えられるので、未だ弁護人主張の論拠によつて鑑定者の推論の合理性を否定しうるものではない。従つて、弁護人の右主張も採用できない。

(は) 更に、弁護人らは本件ガス爆発前に八〇〇MH巻立附近で六トン蓄電車等のほか、数多くの炭車が複雑な脱線をし、その復旧作業中に本件ガス爆発が起つたことが認められ、その脱線車輛の位置状況から考えると、右脱線復旧作業に巻揚機を使用することは場所的に不可能であるので、巻揚機は使用していなかつたものと推定されるうえに、このような脱線事故が生じた場合には、通常の坑内作業の要領として、その復旧作業上の危険を防止するため、捍取は巻運転手に対して永久停止の信号を送り、巻運転手がこれに応じて手許スイツチを永久停止状態にするものであるし、仮にこのような信号を送らなくとも、巻運転手は巻揚機を暫くでも使用しない場合には、手許スイツチを通電状態にしておくことにより発する油圧ブレーキ用油圧ポンプ電動機の騒音から解放されるためと通電による電力の浪費を避けるために、必ず手許スイツチを永久停止の状態にするものであるから、このような通常の坑内作業の実態から考えて、本件ガス爆発当時手許スイツチは通電していない「開」の状態におかれていたと推定される。しかも、杉谷一卸巻場及び旧係員詰所附近で死亡していた鉱員の遺体の位置及びその状況から右鉱員らはいずれも休憩中であつたことが認められ、特に旧係員詰所附近で死亡していた三根俊明、末包盛雄、末次正彦の三名は巻揚機の運転が始まれば、巻揚用ロープが跳ねて極めて危険な場所というべき車道のそばに居たと思われる位置で死亡していたことや、巻運転手であつた工藤勉は運転台後端一、五米の位置に設けられていた腰かけに脊板をもたせかけ、それに背をあて腰かけていた状態で死亡していたことから、当然巻運転は停止されていたことが明らかで、このような場合は手許スイツチは永久停止の状態におかれていたと推定することができる旨主張している。

よつて審案するのに、先ず脱線事故の点については、第三八回公判調書中の証人久保田保久の供述部分(記録四七冊)、島本喜代志の検察官に対する供述調書(記録三冊)、渡辺健治、原田政人、吉井勝、宮丸幸行の検察官に対する各供述調書(記録二三冊)、前掲第五の証拠の標目中上田数馬外一名共同作成の検証調書(記録二八冊ないし四一冊)を総合すれば、本件事故発生当日の午前一一時三〇分ころ、八〇〇MH巻立附近で弁護人主張の脱線事故が発生し、その復旧作業が行われたことは認められるが、右復旧作業の具体的内容や経過は必ずしも明らかではない。しかし、本件ガス爆発直後の杉谷一卸における巻揚用ロープの状況をみると、右ロープの先端は舟底(同卸と八〇〇MH水平坑道との分岐点付近の水平部分)近くまで伸び、その先端に連結された石炭や硬(ぼた)を積載した炭函四個の一番先端部の炭函が実函線(舟底で杉谷一卸の炭車軌道は実函線と空函線とに分岐している。)側に乗り入れかかつた状態にあつて、本来六九〇巻立を定位置とする同巻立棹取である城崎穣、杉谷ポケツトと八〇〇MH巻立間の八〇〇MH主要坑道の連結手である三木一兄が右四個の炭函の傍で死亡していたこと、同日午前一一時三〇分ころ運搬司令所に右脱線事故の電話報告があり、同所にいた運搬係員松浦又好が右六九〇巻立を経て八〇〇MH水平坑道の脱線現場に赴いたが、同日零時一〇分ころ、右運搬司令所に同人から硬チツプラーにある三屯用レバーブロツクを六九〇巻立まで届けてほしい旨の電話要請があり、宮丸幸行が右レバーブロツクを探したうえ、これを六九〇巻立附近まで電車で運んだとき、本件ガス爆発に遭遇したこと、右六九〇巻立から八〇〇巻立まで三五〇米余の距離があつて、杉谷一卸の炭函は、右六九〇巻立から八〇〇巻立まで、道具を運んだり、係員等が移動する場合にも慣例的に利用されていたことが認められ、これらの諸事実を総合すれば、本件ガス爆発当時なお前記八〇〇水平坑道の脱線復旧作業が継続されており、他の持場勤務の鉱員が復旧作業援助のため、その事故現場附近に出向いていたし、前記三屯用レバーブロツクを右六九〇巻立から八〇〇巻立まで運ぶためには、杉谷一卸の炭函が使用される予定であつたことが認められる。従つて、杉谷一卸巻場の巻揚機のロープを使つて八〇〇米水平坑道で脱線していた蓄電車を引張るなどして、その復旧作業に巻揚機を直接利用することはできなくても、その復旧作業に必要なレバーブロツク等の道具を運んだり、復旧作業関係の係員等の移動をするのに利用(その作業の性質上不時、緊急の利用が予想される。)するため、必要に応じて巻揚機が運転されていたとも考えられるし、このような利用方法の場合は脱線復旧作業上危険を及ぼすとは考えられないから、危険防止のために手許スイツチを永久停止の状態にする必要性はないことになろう。従つて、また、仮に本件爆発時に巻揚機の運転が停止されていたとしても、それが、ただちに手許スイツチを永久停止の状態におかれていたことを推認せしめるものでないばかりか、このような場合はむしろ巻揚機を即時運転起動させうる態勢にしておく必要があるため、油圧ポンプ電動機の騒音等の弊害があつても、なお手許スイツチを通電状態にしておくべき合理的必要性があるともいえようから、右弁護人の主張のように脱線復旧作業上の危険防止や、騒音防止ないしは節電の必要性を論拠として手許スイツチが永久停止の状態に置かれていたと推断することは困難である。また、杉谷一卸巻場内及び同卸旧係員詰所附近で発見された鉱員の遺体の状況を前提とする弁護人らの主張も、その状況がガス爆発による強烈にして複雑な破壊作業や被災鉱員の瞬時的とはいえ死亡に至るまでの間の自力動作などにより作出されたものであるから、その遺体の位置や状況によつて、死亡直前の鉱員の作業状況を推定すること自体極めて困難であるといえるし、この点に関する第四一回公判調書中の証人佐井洋一の供述部分及び同証人作成の「山野炭鉱ガス爆発の火源に関する研究」と題する弁第八号書面(記録五六冊)中の右遺体の位置、状況についての説明部分は、主観的な憶測の域を出ないばかりか、特に巻運転手工藤勉、鉱内夫三根俊明、同末次正彦の遺体の位置、姿勢に関する部分については、これらの遺体を最初に発見した者と認められる工藤重敏、奈須武男、早川幸雄の検察官若しくは司法警察職員に対する各供述調書(記録二三冊)の内容と相違してにわかに措信できないし、他の状況証拠と併せてみても、これら遺体の位置や状況の点から、本件爆発当時、巻揚機の運転が停止されたうえ、手許スイツチが永久停止の状態に置かれていたことを合理的に推認することはできないので、弁護人らの右の点に関する主張も採用できない。

(2)  ガスの流動に関する理論から電気アーク説を否定する主張について

弁護人らは、物理的実験の結果及び気体の流動に関する法則によれば、坑道内の通気中に放出されたメタンガスは、その放出点から坑道直径の約九〇倍の距離、すなわち本件突出ガスの流動した坑道の平均直径約三米の九〇倍である約二七〇米程度の距離においては空気と完全に混合し、その濃度は全断面にわたつてほぼ均一化するものであるから、大焼卸で突出したメタンガスは入気に乗つて一三〇〇米位離れた杉谷一卸巻場まで流動するときには空気と完全に混合し、同一断面における濃度が均一化することは明らかである。従つて、仮に杉谷巻場の電磁開閉器の電気アークを火源と考えた場合、右巻場内におけるガスの濃度が爆発限界内の濃度に達している限り着火と殆んど同時に爆発することになり、火源と爆源とが一致するから、電気アーク説がいうところの杉谷巻場で着火したメタンガスの燃焼が進行(火炎伝ぱ)して行つて、同所より約五〇米離れた旧係員詰所前附近でガス爆発をするような現象は起り得ないことになるので、電気アーク説は理論的にも実験的にも成立しないことになる旨主張している。

よつて検討するのに、なるほど、日本鉱業会誌昭和四三年三月号中九州大学教授江淵藤彦他一名作成名義の「坑内ガスの流動に関する考案」と題する弁第七号論説(記録五六冊)、同会誌昭和四七年二月号中同江淵教授他四名作成名義の「ガスの流動状態における爆発について」と題する弁第一〇号論説(記録五六冊)及び第四二回ないし第四四回及び第四六回公判調書中証人江淵藤彦の各供述部分を綜合すると、弁護人の右主張に副う学理上の論説が種々の実験の結果に基づき説述されている。ところが、先ず弁第七号論説は、山野鉱四九〇MH右零番坑道上に長さ二〇米、直径〇、七六米の風管二本を置き、その風管の両端を密閉してその中に炭酸ガスを注入して充満(約一九立方米)させた上、その両端を同時に開き、右ガスが坑道の気流(但し、風量は終始一定)に押されて通気中に約四五秒で放出される実験方法で、右ガスが通気と混合拡散する状態を測定した結果に基づく考察により、坑道直径の九〇倍の距離の地点(同一断面)でガス濃度がほぼ均一になるという論説であつて、右実験による考察それ自体に誤りはないとしても、右実験の結果からも、坑道を流動して行くガス帯の濃度に前後差があることが窺い知られるのであつて、このことは杉谷巻場と旧係員詰所前の坑道とでは、本件ガスの濃度を異にしていたことの可能性を裏付けるものといえよう。また、右実験の結果をみれば、同一断面においても完全に濃度は一致しているとはいえず、僅少ながら濃度差が認められ、右の実験における炭酸ガスの放出量は通気量に比し極めて少量であり、右実験におけるA測点の濃度(〇、〇四%前後)は本件ガス爆発時におけるメタンガスの推定濃度(一〇%前後)とは可成りの差が認められる。従つて、本件爆発直前におけるメタンガスの濃度差は同一断面においても右実験の結果において見られるそれよりもより顕著に現われるものと考えられるし、元来ガスの流動状態は、その突出ガスの量や突出圧、各坑道における通気圧、坑道の状況等の諸条件が明らかにされない限り、正確には判明しないといえるし、本件の場合これらの諸条件が明確でないものがあるから、右実験の結論が直ちに本件杉谷巻場内のメタンガスの流動状況にあてはまるかどうかは疑いなきを得ない。特に、本件巻場は、杉谷一卸坑道より約二倍以上広くなつているうえに、そこには大小さまざまな機械器具が設置されているのであるから、次々と到着する突出ガスとの関係において、また巻場奥には風道があつて通気はその方にも流れるため、その関係において、巻場内の気流自体、その位置によつて、あるいは機械器具の蔭に低迷し、あるいは裏風道に直通するなどし、同巻場に到達する以前の気流の状態とはかなり異なつた様相を呈するものと考えられるから、たとえ右巻場に流入する前の突出ガス帯が全ての断面にわたつて空気と均一に混合していたとしても、それが右巻場に流入したときには、複雑多様な混合状態が作出されることが推察されるといえよう。そして、この推察は前記実験の結果に基づく混合拡散の論説と必ずしも矛盾するものでないことは明らかである。つぎに、弁第一〇号論説は、メタンガスの爆発実験に基づき、均一な爆発限界内の濃度のガスが爆発する場合における爆発誘導距離(着火点から燃焼状態の火炎が進行した距離)が二米以内という極めて短かい距離であることを実証する論説であるが、杉谷一卸巻場に流動した本件突出ガスの濃度自体が爆発限界外の燃焼に適した混合状態にあつたとすれば、右の爆発誘導距離についての実験結果があてはまらないことも明らかであつて、弁護人らの援用する論説自体は正しいとしても、これをもつて前記電気アーク説を否定する論拠となし得ないことは多言を要しないところといえよう。却つて、杉谷一卸巻場及び同所から本件ガス爆発地点と考えられる旧係員詰所前附近に至るまでの坑道内における被災状況、殊に配電用ビニール被覆ケーブルその他器物の燃焼状況等を前掲第五(証拠の標目)の実況見分調書や検証調書に徴してみると、前掲大隅芳雄外四名共同作成の鑑定書(記録四二冊)及び証人大隅芳雄の当公判廷(第五三回)における供述で指摘されているとおりガス燃焼火炎が杉谷一卸巻場から同卸旧係員詰所前附近に走つたことを裏付こるケーブルのビニール被覆が焦げている痕跡などが認められ、右鑑定書にいう燃焼火炎伝ぱの推定には合理的根拠があるものと認めるのが相当であるから、弁護人の右主張もまた採用することができない。

(3)  以上説述したように、結局弁護人ら主張の安全灯説は、これを肯認するに足る合理的根拠がなく、また検察官主張の電気アーク説に対する弁護人らの反論も充分の理由があるとは認め難い。却つて、前掲第五の証拠の標目中判示第三及び第四の各事実に関する証拠、就中大隅芳雄外四名共同作成の鑑定書、証人荒木忍、同広田豊彦、同井尾正隆、同大隅芳雄の当公判廷における各供述、野田健三郎の検察官に対する供述調書等を綜合すれば、右電気アーク説はその事実的判断及び科学的判断について、充分の理由づけがなされていて、その推論は合理的根拠があると認められるので、これを採用すべきものとした。

(四)  被告人らの過失責任について

(1)  弁護人らは、被告人らの過失責任を否定し、つぎのとおり主張している。

(い) 被告人らにとつて大焼卸の地質や炭質の条件等からみて、同所でのメタンガス突出の予知は不可能であるばかりでなく、ガス突出はあり得ないと考えるのが自然のことでもあつた。

(ろ) 本件ガス突出に際し、大焼卸掘進担当係員であつた龍口賢二は中央三交替に電話報告をした際、A1A2をただちに遮断した旨を報告し、更に中央三交替の主席係員であつた被告人田籠実の指示により、再測定の結果ガス干渉計にシマが見えた旨を折返し報告したので、被告人らは突出ガスの量が極めて少く、右電話報告のとおりA1A2がただちに遮断されておれば、その突出ガスは一応大焼卸局扇座より卸側の盲坑道内に滞留し、入気側に流出することがなく、仮に流出したとしても極く少量であるし、少くとも、大焼卸坑道内には電気的な火源がないことになるから、ガス爆発の危険がないと判断したもので、右の判断には何らの落度もない。このことは、A1A2が遮断されれば、第一立坑からの入気が大焼卸局扇座より卸側の盲坑道には行かず、直接大焼卸巻場の方に吹抜けていくため、右盲坑道の入口附近においては、右入気がエアーカーテン状をなし、盲坑道内の空気の流出を遮断する作用をなすという物理学上の理論から考えても是認でき、右の理論は本件突出ガス量が約三、五〇〇立方米(局扇を停止した場合は約一、八六九立方米)程度で大焼卸の盲坑道の容積二、五二九立方米に充分納まる量であつたことに徴しても、是認できるものであつて、被告人らの前記判断の妥当性を裏づけるものである。そこで前記判断に基づき、被告人田籠実、同赤崎義美、同福井千秋らにおいては、強いて全坑内を停電させるまでの必要はないと考え、このうえは大焼卸ガス突出対策要綱に定められたガス干渉計にシマが見える場合の措置をすれば充分であると判断し、さらに突出の状況により送電管理及びガスの排除をすべく、被告人田籠実はまず龍口賢二に四九〇MH右零番坑道のガス量を測定するよう指示するとともに、鴨生変電所に対する電話連絡を試み、また被告人赤崎義美は一刻も早く自ら坑内現場に赴き送電管理をしながらガス排除作業を指摘するため入坑しようとしていたのであり、さらに被告人福井千秋もまた前記判断のもとに被告人田籠実、同赤崎義美がとつたそれぞれの処置を是認していたのであつて、被告人らの右判断に責められるべき落度はなく、従つて被告人らには何ら業務上の過失責任はない。

(は) かえつて、本件爆発事故が発生するに至つたのは、右龍口賢二がガス突出対策要綱で定められた事項を守らず、発破をかける際に壺下避難所に避難させないで、局扇座に避難させ、ガス突出後しばらくたつてガス突出に気づいたものの、直ちにA1A2を遮断することなく、まずガス量の測定をして、スケールアウトであることを知つたが、壺下避難所には誰一人避難させていなかつたので、A2A1の遮断が遅れ、突出ガスを入気坑道に流出させて了つたのに、中央三交替に対する電話報告では、突出対策に定められたとおり、A1A2を直ちに遮断したかのように報告したため、被告人らの判断を誤らせたことに起因するものであるというのである。

(2)  右主張に対する当裁判所の判断はつぎのとおりである。

(い) 大焼卸におけるガスの突出が被告人らにとつて予知することが不可能であつたとの主張については、本件公訴事実は本件ガス突出後における被告人らの行為について業務上過失又は鉱山保安法上の責任を問うものであり、ガス突出の予知に基づく予防的な意味での作為義務違反を問うものではないから、仮に被告人らにとつてガス突出が予知すべからざる事柄であつたとしても、前認定の被告人らの犯罪の成否には何らの消長も来さない事柄というべきである。しかし、情状的には影響を及ぼす事柄と考えられるので言及すれば、山野鉱における従来のガス突出の事例や大焼卸の地質及び炭質、深度、等から判断すれば、一応同所でのガス突出の危険率は少ないものと考えられていたことは、前記第三の(一)ですでに認定したとおりであるが、炭坑におけるガス突出のメカニズムについては、いまだ科学的な解明が充分にされていないし、ガス突出の有無を確実に予知できる有効な方法もない現段階においては、前例的に又は学理上ガス突出のおそれが少ないと考えられていても、それが絶対的なものといえないことはいうまでもなく、殊に本件の場合は、昭和四〇年四月に行われた福岡鉱山保安監督局の総合検査におこる講評においても、大焼層の開発は地山開発(処女炭層の開発)であるから、特にガス対策を徹底して行うよう勧告を受けて、前記大焼卸ガス突出対策要綱が定められたことは、前記第三の(二)で認定したとおりであり、炭坑の保安係員として被告人らは右勧告を尊重すべき責務があつたことは当然であるし、大焼卸におけるガス突出について予知し得ないまでも、弁護人らが主張するように同所におけるガス突出があり得ないものと判断することは、到底妥当な判断とはいえず、前記のように当時ガス突出の危険率が少いと考えられていたことは、当時保安関係者らの心情に油断を生じ易い事情があつたとして、考慮される情状にすぎないといえよう。

(3)  本件メタンガス突出に際して、被告人らがとつた行動が、当時の具体的状況下において適切であり、業務上過失責任を問われるべきいわれはない旨の主張についてみれば、被告人田籠実、同赤崎義美、同福井千秋らのガス突出に際して職責上遵守すべき注意義務としては、鉱山保安法五条、三〇条及び石炭鉱山保安規則二三条、二四条三項一項二号、八四条二項、一二七条に規定されているところであるが、右各法定の義務を遂行するための具体的最善策として前記大焼卸ガス突出対策要綱が定められたものであるから、右被告人田籠及び赤崎は坑内保安係員として、被告人福井千秋は、副保安技術管理者として、その所掌事務を遂行するうえにおいて、右ガス突出対策要綱を尊重し、遵守すべきことは当然であり、右要綱が完全に実施され、その実をあげるよう指導、監督し、又は協力し合う業務上の注意義務を負うべきものと認めるのが相当である。従つて、本件の具体的事実にこれをあてはめれば、被告人田籠実は龍口賢二から大焼卸坑道でメタンガスが突出したこと、その濃度の測定結果はスケールアウトであること、鴨生変電所に電話したが応答しないことを知らされた時点において、被告人赤崎義美、同福井千秋はそれぞれ右電話報告の内容を被告人田籠実から知らされた時点において前記ガス突出対策要綱に定められたとおり、いわゆるスケールアウトの場合として直ちに、鴨生変電所に連絡をとり一刻も早く坑内全停電の措置をとらせ、まず全坑内の火源を断つて爆発の危険を防止したうえでその余の対策を講ずることが被告人らの職責であり、右職責を遂行するために互に連絡をとりあるいは指導監督し、又は協力し合つて、前記第四の罪となるべき事実に判示したとおり臨機応変の措置をとるべき業務上の注意義務を負うべきである。

この点に関して弁護人らは、A1A2を遮断した場合は第一立坑からの入気によりエアーカーテンの現象が生じること及び本件突出ガスの量が盲坑道内に納まる一、八六九立方米程度であつたと推認できることに徴すれば、突出したガスは入気坑道に流出しないし、仮に流出したとしても、それは極く少量であつて爆発の危険を伴うほどのものではないから、事実上坑内全停電の措置をとる必要はなかつたし、その措置を講ずべき注意義務を有しなかつた旨主張しているが、本件突出ガスの量及び被告人主張のエアーカーテン現象の点については、後述するとおり被告人らの本件過失責任を否定する理由にはならないし、現実の場合ガスが突出してからA1A2を遮断するまでに多少の時間を要することは充分考えられ、また即刻には計り知れない突出ガスの量や突出圧力の関係で不測の量のメタンガスが入気坑道に流出する危険のあることも否定できないのであつて、そのような危険の発生が想定されればこそ、前記ガス突出対策要綱においてもガス量がスケールアウトの場合はそれだけの理由でただちに中央三交替を経ることなく、当該坑内係員から直接鴨生変電所に電話で連絡して坑内全停電の措置をとらせたうえで中央三交替にその報告をするよう定められていたものというべきである 従つて、仮に、その後ガスの再測定の結果、ガス干渉計にシマが見えたとの報告を受けたとしても、最初スケールアウトであつた以上は前認定のとおり、その時点において、即刻坑内全停電の措置をとるべき責務があつたことを否定する理由にはならない。しかも、現実には、被告人田籠実は龍口賢二に対し、ガスが突出した時刻と、A1A2を遮断した時刻との関係については何らこれを確かめた形跡もなく、鴨生変電所への連絡等のために何程の時間を要したかを確かめた形跡もないのであつて、A1A2を遮断したとの報告をうけたから突出ガスは盲坑道から流出する事実上の危険がないと判断すること自体早計というべく、もし、前記第四の(一)の(1)の罪となるべき事実中に説示したような坑内全停電を即時実施する臨機応変の措置を講じておれば、その時間的な余裕があつたことや、本件事故当時被告人岡田源治がその職場を離れていたとはいえ、近くの架線事務所にいたことを見ても、その目的を充分に果すことができたことが明らかであるので、少くとも杉谷巻場における電磁開閉器が火源となることを事実上防止することができたといえるから、弁護人らのこの点に関する主張も採用の限りではない。

(は) さらに、龍口賢二がガス突出対策上の処置を誤つたとの主張は、被告人らの犯罪が成立すること前記のとおりである以上、右犯罪を否定する主張とはなり得ないが、被告人らの情状の点についての主張として言及してみると、被告人田籠実は、当公判廷(第五四回)で、龍口賢二が同被告人にガス突出の報告をした際、同被告人において、右龍口に対し、ガスの濃度を再測定するよう指示した旨供述するが、右供述部分は第六、第七回公判調書中証人龍口賢二の供述部分に対比してにわかに信用できず、また龍口賢二が、再測定のために大焼卸へ下りて行つたことを認めるべき証拠もない。弁護人らが援用する第八回公判調書中の証人桜井鼎の供述部分、第一〇回公判調書中の柿原秀吉の供述部分はいずれも極めて不明確な記憶にもとずく供述であり、龍口賢二が再度ガス測定に行つたことを明らかに供述したものでもないので、右事実の証拠とはなし難いし、右龍口がA1A2の遮断を怠りながらこれを糊塗するため虚偽の報告をしたことを認めるべき証拠もなく、また発破をかける際、右龍口は局扇座に坑夫らを退避させていたことが認められ、ガス突出対策要綱上の退避の場所が、壺下避難所であることからすれば、この点は右対策要綱上の定めを遵守しなかつたことになるが、右定めのとおりに避難すれば、発破の場所も同所でする定めとなつているため、ガスの突出を予知しにくいことも考えられるし、少くともガス測定のために一旦局扇座まで下りて来なければならないことになり、場合によつては、却つて、A1A2の遮断が遅れることも考えられよう。本件の場合は、たまたま、同人が、局扇座前の坑道で巻方が退避して来るのを待つている際に、松元羆が発破のスイツチを入れた関係上、結果的には却つてガス突出を早めに感知したと考えられ、同人がガス測定をA1A2の遮断より先に行つたために、A1A2の遮断がやや遅くなつたための遅延をとり立てて論ずるには当らないし、又同人がA1A2の遮断を怠つていながら、又は、著しく遅延させていながら、これを糊塗するために被告人田籠に対してA1A2をただちに遮断した旨虚偽の報告をしたと認めるべき証拠はないので、同人の措置のしかたをもつて被告人らの本件責任に格別の影響を及ぼすものとは認めがたい。

(に) 本件突出ガスの量について、

弁護人らは、前記のとおり本件突出ガスの量が約三、五〇〇立方米であつた旨主張し、右の量はガス突出直後局部扇風機を停止したとすれば、突出ガスの量は一、八六九立方米程度に止まるものと推認できるし、この程度のガス量であれば、盲坑道の容積二、五二九立方米の中に充分納まる量であるし、第一立坑からの入気により、盲坑道の入口部分にエアーカーテンの現象が生じることと併せ考えれば、突出したガスが入気坑道に流出することはなく、仮に流出したとしてもその量は極く少量に止まるのであつて、爆発の危険を伴うものではない。従つて、突出ガス量が右の程度であることは、第一に、被告人田籠実、同赤崎義美、同福井千秋が、龍口賢二から、ガス突出後ただちにA1A2を遮断した旨の報告に基づき坑内全停電の措置を執る必要がないと判断したことに責められるべき落度がなかつたことを実証するものであり、第二に、現実には、入気坑道に多量のガスが流出し、本件事故を惹起したことと併せ考えれば、龍口賢二は、ガス突出の報告に際し、A1A2をただちに遮断した旨を報告したにもかかわらず、真実は、A1A2を遮断しなかつたか、若しくはその遮断を著しく遅延させたことが推認できるので、本件爆発事故の原因は、被告人らの行為とは関係なく、専ら龍口賢二が大焼卸ガス突出対策要綱に定められた措置を怠つた過失に基づくものというべく、従つて被告人らの本件事故に対する過失責任を否定する結論を導くものであるから、極めて重要なことであると主張している。

しかしながら、被告人田籠実、同赤崎義美、同福井千秋の本件における業務上の注意義務については、前示のとおりであり、また大焼卸ガス突出対策要綱は独り龍口賢二にのみ課された義務でないことは勿論であり、被告人らもこれに協力してその実を挙げるべき要綱であることもまた前示のとおりであるし、龍口賢二の本件ガス突出時における措置が、弁護人らの主張するようなものであつたと認めるべき充分な資料がないことも前示のとおりであるばかりか、仮に龍口賢二に本件ガス突出時における措置に何らかの過失があつたとしても被告人らの過失責任が否定されるべき理由とはならないのであるから、本件において突出ガスの量を詳細に検討する必要はなく、その意味において、弁護人らの右主張は採用の限りでないが、弁護人らは右主張の突出ガス量を前記各主張の論拠として、これに関連させ強く主張しているので、敢えて右主張の論拠となつている証拠について附言してみる。

佐井洋一作成の「大焼卸から出たメタンガスの量について」と題する弁第三号書面(記録五五冊)、証人佐井洋一の第四〇回、第四五回公判調書中の各供述部分及び当公判廷(第四七回、第五三回、第五四回)における各供述によれば、本件ガス爆発直後から約六時間にわたり第二立坑坑口において計量された跡ガスの測定値に基づき突出メタンガスの量を推計した結果、その総量が、弁護人ら主張のとおり約三、五〇〇立方米と推定される旨説述されている。しかし、右推計総量の値については、以下例示するような種々の疑問点があつて、未だ合理的根拠に裏付けられた推定と認めることは困難である。すなわち、先ず、跡ガスの測定に当つた吉村富雄の司法巡査に対する供述調書(記録三冊)及び西口建男の検察官に対する供述調書(記録三冊)によれば、その測定方法は、弁第三号書面四頁に記載されているほどに綿密厳正な測定方法により測定されたものであるかどうか、必ずしも明確でないばかりか、同書面五頁に掲げられた跡ガスの測定記録は右西口らが電話報告した内容を中央三交替が記録し、測定時刻を書き入れたものと認められ、同記録にかかげられた坑内風量六、一四五立方米/毎分の数値も同日測定されたものではなく、坑口漏風の量は右佐井洋一の推定値にすぎないことが認められるし、右測定の時刻の間隔もまちまちであつて、その測定されていない時間帯における数値の算出方法も正確を保障しがたい。また、右測定値により算出されたガス量の修正に用いられている資料も、爆発前の全風量を同年五月二七日の保安図作成の際の記録によるものとして毎分七、二〇〇立方米として計上されているが、右二七日の保安図(昭和四三年押第七五号の符号五四)の記載によれば、総排気量は毎分六、八〇〇立方米と記録されており、基礎ガス量はメタンガス〇、八パーセントと記録され、炭酸ガス、一酸化炭素については記録されていない。更に、第二立坑の坑口における主要扇風機の負圧上昇による修正についていえば、従前のノツチ変更の二例に基づいてガス湧出の増減値が推計されているが、僅か二例のみから負圧の増減とメタンガス湧出量の増減との相関関係を導き、比例配分的に本件の場合の数値を推計すること自体疑問なきを得ないし、右弁三号書面においては、負圧の増減と湧出ガス量の増減とがいかなる相関関係に立つものであるかについては何ら示されていないし、同人の当公判廷における供述においても、右の点については合理的な説明がなされていない。思うに基礎ガスの湧出量が気圧の増減により左右されること自体は学理的に推認しうることとしても、その具体的な増減の量は具体的な坑道と種々の条件に支配されるものと考えられ、近似の地質構造を有する坑道間においては、その増減の傾向も近似することはあり得ても、その関係は多数の事例の中から求められるべく、単に或る条件下において行われた僅か二例の人為的ノツチ変更による結果のみから、直ちにその較差を比例配分的に推計することは、諸々の条件の近似性が担保され、また一定の範囲内における増減として、その相関関係が具体的に示されてのみ、その妥当性が容認されるべきものであると考えられる。以上の点からみても、右跡ガスの測定記録及びその数値の修正に用いられた推計値には種々の諸条件が捨省されて、その誤差の範囲も明確でないのにかかわらず、一方においては湿度差による誤差の修正の如き全量の二パーセントにも満たない値を綿密に算出し、「その他の理由によるガス量の増加」という項目には全量の八パーセントにも及ぶ数値を目算で計上しているなど、全体として疑問点が多く、災害時における参考記録とはなり得ても、これを正確な数値として採用できる程、客観性を具備したものとは認めがたい。

また、九大教授江渕藤彦作成の「大焼卸突出炭のガス脱着試験から算出した突出ガス量」と題する弁第四号書面(記録五五冊)中三頁掲記の第一表(突出炭量と突出ガス量)は、その資料の出所は不明であるが同一事例を掲げたと認められる前記大隅芳雄外四名共同作成の鑑定書第II章第一節「山野地区におけるガス突出の習性」中に福岡鉱山保安監督局資料」として引用されている表と対比してみると、(1)海八左卸左五片肩風道(右鑑定書では、本坑二区海八左探炭卸左五片肩炭探坑道向と表示されている。)(2)海八左卸左三片探炭卸(右鑑定書では本坑二区海八左卸左三片肩風道探炭卸と表示されている。)における数値が異なつており、その平均値に大きく影響していることは明らかであり、更に同書面四頁に引用されている事例表についてみるに、同表における海八中卸右四片払の有煙炭層における採掘期間(三八年四月ないし三九年五月)の精炭一屯当り湧出ガス量の算出根拠となつた資料は、同書面一一頁の表であると認められるところ、同表によれば、昭和三八年四月ないし九月までと、同年一〇月より同三九年五月までとの各期間に、その各湧出ガス量に顕著な差が認められ、ふた同書面一〇頁に「左五片払(地表下八五二米)として掲載されている表をみると、同期間中最高四五・六七立方米、最低二一・二八立方米と二倍以上の差があり、その間の諸条件は不明である。しかも、同九頁に掲載された右四片払の表をみると一屯当りガス量は最高五六・四八立方米であり、有煙炭部といわれる前二表の平均値を上廻る数値を示しているばかりか、前者と異なり僅か七ヶ月間の平均値を出したもので、そのガス量をみると昭和三九年五月ないし八月までと九・一〇月とでは著しい差異があり、同年九月丈は、出炭量一屯当りのガス湧出量が極端に少ない。このような資料によつて、ガス脱着量を推計する際に、有煙炭部におけるガス湧出量及び煽石部におけるガス湧出量として、それぞれこれらを平均値的に比較し、その差を一率に百分率で求めて本件突出炭によるガスの湧出量算定の数式に組入れることの合理性については疑問なきを得ない。従つて、これらの推計もまた参考資料とはなり得ても合理的数値とは認めがたい。

このように、弁護人らの主張する突出ガス量を根拠づけている推計は、その結論を導いた資料の蒐集方法及びその質の点において適性を保障しがたく、従つて一般的な方法論としては適切であつても、その具体的結論の妥当性までは認めがたい。従つて、このようにして得られた推計値を合理的なものとし、これを基礎として、局部扇風機がたゞちに停止したことを前提として、(A1A2をたゞちに遮断するまでに多少の時間を要する。)盲坑道におこる突出ガス量を換算し、その量を一、八六九立方米程度と推計してみても、その数値もまた妥当なものとは認めがたいうえ、盲坑道の容積を二、五二九立方米という主張も証拠上明らかに誤つた数値である(実際は約一、九九〇立方米)ことや、弁護人主張のエアーカーテンの理論も、突出ガス量が、盲坑道の容積を超えず、且つ盲坑道内に静止した状態を前提とした理論であることに徴してみても、これらの数値や理論をもつてただちに本件ガス突出時におけるガスの流出状況を推断することは困難であつて、本件ガス突出に際して龍口賢二がとつた措置につき、A1A2遮断の有無ないしは遅延の程度を論ずることは、仮定的な推論の域を出でず、具体性を有しないものと言わざるを得ない。以上説述しように、本件突出ガスの総量を前提とした弁護人らの主張は、その前提においてすでに合理的根拠が充分でないものがあり、すべて理由がないことになる。

第九量刑の事由について。

本件事故の結果は極めて重大で、尊い人命を一瞬にして失い、あるいは不測の傷害のために苦しんだ二六六名の多数の被害者やその家族らの苦悩に思いを致せば、被告人らの刑事責任は厳しく追求されねばならないことは多言を要しないところであるが、他面において、本件事故発生当時における大焼卸開発に当り、被告人らのみならず、会社全体としてその坑道でのメタンガス突出の危険性が少ないと考えられていたこともあり、折角前記の適切なガス突出対策要綱が定められたにも拘らず、被告人会社において右対策の完全実施をするために必要な人的機構(例えば、鴨生変電所の単独勤務体制の機構)及び物的設備(例えば、坑内全停電の緊急措置を鴨生変電所を経由しないでも実施できる設備)の整備に万全の配慮が足りなかつた点が多々見受けられるとともに、被告人岡田源治についての過失態様が前記第四の(4)で認定したとおり無断で職場離脱をしたもので、特に強く非難されるべきものがあるけれども、従来短時間の無断職場離脱については、上司においてこれを知りながら厳重に注意指導することもなく、本件事件当時も同被告人が架線事務所で雑談していたのを関係上司において看過していたことも窺え、本件事故が災害予防体制の不徹底さの必然的帰結として発生したというも過言でない点もあつて、本件事故の責任を被告人らのみに帰せしめることは酷にすぎるものといえるうえに、被告人福井千秋、同赤崎義美、同田籠実、同岡田源治の年令、経歴、本件事故後の境遇、悔悛の情、被告人会社と被害者側との示談成立の事情等をも考慮するときは、被告人会社を除くその余の被告人らに対しては、それぞれその刑の執行を猶予するのが相当と認め、主文のとおり量刑した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川宜夫 畑地昭祖 山浦征雄)

別紙(一)、(二)(略)

坑内図(一)〈省略〉

坑内図(二)〈省略〉

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